インスタレーション『ABITA』@JINNAN HOUSE 

Artist talk Ⅲ_「受け身であることの強さ」を問い直す/根源へと遡り、内なるものに耳を傾ける

 

【聞き手=安藤誠/LAND FES  2022215日、渋谷JINNAN HOUSEにて】

 

 

 

---- シマダさんはどうですか。今話にのぼった沼津でのクリエーションは直接はご覧になってないわけですが、逆にまっさらな形でアプローチできそうですが。

 

 

シマダ そうですね、正直言ってこれからどうアプローチできるかとかは見えてないです。むしろ、どう存在し続けるかというか、これから構築していく時間の延長で空間やモノ、ヒトと共にどう在れるかなということを考えています。

 

 

---- ご自身の活動についても少しお話いただけますか。

 

 

シマダ 僕はもともと芝居を学んでいたんですが、その中で身体表現と出会って、そこから表現の軸をダンスに置きはじめました。所謂テクニック的なものは学んで来ず、感情の変化や状態を受け入れて生まれるパーソナルな動きを追求してきました。奥野さんとの出会いは、横浜ダンスコレクションの時で、その時に話したのがきっかけで今に至っています。

 

僕自身の表現というのも、軸はやはり身体にありますが、絵も描いたりしていて、でも特に自分はこういう者ですみたいなはっきりしたものは無くて、むしろ存在というテーマに興味があります。なので、今は都会の片隅に在る一つの現象として自分を捉え、それをEdgeofthecityと名付けて活動しています。奥野さんの身体への向き合い方から見えてくる切実さというか、自分の身体と丁寧に向き合うことで現れる奥野さんの存在感が好きだし、そういう根本的な部分で共鳴したから今も繋がり続けているのかなって思います。

 

 

奥野 ダンスコレクションで出会って、私が声かけたんですよ。本番を観て、シマダくんの作品自体、絵も、この人は私より上をいっている! と。私が求めようとしていることをやってて、全部の動きが必然なの。ダンスじゃなくて、動きが必然であるという美しさ、私が求めているものを全部やってて、目の前にできてて。見ちゃった、、って感じ。だから一緒にやるモチベーションも_____。そういう存在。

 

 

---- と、仰ってますけど。 

「REAL CONTROLLER」(2016) 写真|bozzo
「REAL CONTROLLER」(2016) 写真|bozzo

 

シマダ (笑)そう見て頂けたなら嬉しい限りです。恐縮です。

 

 

奥野 だから、何かしらやりたいなっていう。次の作品にも出てもらってね。

 

 

シマダ そうですね。

 

 

奥野 シマダくんも、最近できたらいいねって一緒に言ってたんだよね。

 

 

---- ダンスでコラボレーションしたことはあるんですね。

 

 

奥野 私の作品に出てもらったことはあって、『REAL CONTROLLER』っていう作品だったんですけど、互いの身体に数字を書きあう作品で。ソロで構成してて、シマダくんは小銭を食べていくっていうシーンだった。

 

 

岡本 飲み込んだ?

 

 

シマダ 飲み込まない。死んじゃいますね(笑)。

 

 

奥野 ナチュラルな体と、人間が作った人工物との対比、みたいのでやりたかったんですよ。私たちはお金をコントロールしつつもコントロールされてるし、それを食べたらどうなるんだろう、と。シマダくんしかでないっていうのもあったし、ビジュアルが強いかもしれないけど、ダンスじゃないかもしれないけど、だからこそシマダくんのソロということですよね。だから、ダンスじゃないことが一緒にできる人。ダンスじゃない共通言語。たまたまダンスやってただけの人っていうので、ほぼ同じなんですよ。私がやりたいこと彼はわかるっていう。

 

---- d-倉庫でやった作品ですよね。私も観ました。

 

 

奥野 私のインスタレーションの作品で、人が人を捨てるっていう作品もあったんだけど、ゴミ袋で。それはシマダくん、「僕は難しいと思う、やめます」っていうのもあったりして。そんな感じで一周、二周して、今がある。ここ数年ダンスに力を入れていたので、今こういうところに戻ってきてピタッと来た感じがすごくあって。

 

 

---- あのときからモノ化する身体、モノとカラダとの関係がテーマにあったかと思いますが、そことの繋がりは感じますか。

 

 

シマダ 奥野さんのモノだったり、関わり方に関していうと、今回のコンセプトにもたしか書いてあったと思うんですけど、奥野さんがダンスをするときに、空間だったりモノからの影響で動かされてる、そこから生まれるものがダンスになるって書いてあって。それにはすごく共感できる。それは僕の中にあるものでもあって、僕もそういうモチベーションでやってきてるので、やはりこういう部分で凄くフィットしてるなというか。

 

 

奥野 私にはたぶん物質的に体を捉えるという文脈も少しあるんですけど、シマダくんはまたちょっと別で。想像なんだけど、受け入れるんですよね。全部。受け身のダンスっていう感じですね。対象がモノであって、そこにどう関わるかはそれぞれ違うんだけど、そういう共通項はあるかもしれない。

 

 

---- 受け身っていう言葉はネガティブにも捉えられがちですが……

 

 

奥 いや、めちゃめちゃポジティブですよ。現代では自発的なことが良しとされるけど、それを減らして受け身と自発的要素のバランスが取れたときに変わる気がする、情景が。それはこの作品のことだけじゃなくて、生きてていつも思うこと。ついつい自発的になることが多いから、自分も含めて。だからこういうテーマが出てくると思うんですよね。

 

 

---- シマダさんからは先程も、自分の個性を出すよりも消していくことの方に興味があるというお話がありましたよね。

 

 

シマダ そうですね。最近は他者やモノとの関わりの中で生まれてくる行動様式、またはそうせざるをえない行動こそがイコール存在であり自己だと感じていて、自分の表現に対して過度に自発的になり過ぎることによって逆に存在が見えなくなるというか。奥野さんの言う、人間のボリュームや権利が大きくなり過ぎているという文脈にも通じるものを感じています。

 

 

---- そういう意味では、自然に奥野さんと方向性が近づいてきた中で、今回のコラボが実現したという感じでしょうか。

 

 

シマダ はい、偶然にも今この時にお互いの中で、具体的に意識化されてきた時期なのかなと思ってます。

 

 

---- では次ですが、岡本さん、ご自身の今やってらっしゃることをお話してもらえますか。

 

 

 

岡本 映画を撮っていて、2016年に初めてセルフドキュメンタリーを撮りました。ホームビデオで撮り溜めたものを映画にしたんです。山形ドキュメンタリー映画祭で入選して、それからポレポレ東中野さんで上映させてもらいました。完全に個人的な作品だったんですけど、家族の間に大きな区切りがあったもので、それを映画にしたいという。別にみんなに見てほしいという感じじゃなく、自分の中の消化として。浄化させたいなっていう気持ちで撮ったものなんです。今も撮ってるんですけど、それも自分がいまいちばん観たいものを映画として観たいと思って撮り始めたし。2年前くらいから始めてるんですけど、出来上がっていくにつれて、できるだけ多くの人にみてほしいって気持ちも芽生えてきて、それも自然に任せながら。

映画「ディスタンス」(2016) 
映画「ディスタンス」(2016) 

 

奥野 どんな映画なんですか。

 

 

岡本 もうちょっとで完成するんですけど。

本物のカップルを主演に起用した、フィクションというか物語です。本物がみたくて、2人のカップルの愛し合う姿を映像で……観たかったんですよ。結局はそこにストーリーを付けて、物語になりました。いま撮り終えて、編集しています。

 

 

---- 最初の映画を録る前から、映像表現をされていたのですか。

 

 

岡本 もともと映画が好きで、役者に興味を持ってたんですけど、撮られる側にいるのが嫌になって、自分で撮りたいなって。ほとんど素人だし、映画学校も行ってないので何もわかってないんですけど、でもそういう、撮りたい!て気持ちは技術ではないと思うので、気持ちだけで撮ったというか、今回の映画もそうなんですけど。もちろん、技術も必要だし身に付けていきたいですけどね。あと3年位前かな、クリスチャンになったんです。で、私の物事や人や世界に対する見方も若干皆さんとは異なってしまうのかもしれないですけど、一方で共通するところもあって。人間ってずっとやっぱり煩悩があると思うし、悩み続ける生き物だと思うから。でもそれすらも自然なことだと。その葛藤されている感じが、皆さんの話を聞いててすごくわかるなと。そこはクリスチャンとか関係なしに。

 

 

---- 奥野さんとはどういう接点で?

 

 

岡本 私が働いているバイト先に、共通の知り合いのたすく(辻祐)さんという、和太鼓を職業にされている方がお客さんで来てくださっていて。私もたすくさんとは2回くらいしか会ったことがないんですけど(笑)、映画撮ってるという話をしてたら、今回の企画に誘ってくださって。ちょっとここにいるのが奇跡というか。

 

 

奥野 たすくも映像や写真撮るのが好きで、モノ運び役でたすくが沼津のときに関わってくれたので、それで神南ハウスでもモノ運びながら映像撮ってもらったら面白いかなと思ったんだけど、本職の予定でNGになっちゃったので、そしたら彼が、紹介したい人がいるっていうんで。その後返事もなかったから、難しいんじゃないかなって、丁重に無理しなくていいよって言ったんですけど、いや紹介したいって。頑なに、これは成功させたいみたいな。それでお話したら「これだ!」って思って。どうしても技術でやってきた方のほうが多くなるじゃないですか、映像の方を紹介してくださいってなると。そこじゃない部分で、これだけ受け入れてくれる、楽しんでもらえる人と出会うのは逆に難しいんですよ。それで、最高だなと思って。インタビュー記事も読ませてもらったんだけど、それもすごく切実に書かれていて、ほんとに撮り方わかんなかったよねみたいに助監の方も言ってて、それってほんとすごいなと思うんですよ。(カメラの)ボタンの位置とかも……

 

 

岡本 ズームのやり方とかから教えてもらって。ホームビデオなのにそれすらもわからない状態で(笑)。パソコンとかも何もわからなくて。

 

 

奥野 それってほんとにレアだと思ってて、すぐにピンと来ましたね。ありがたいですね、たすくのおかげで。

 

 

岡本 私もです。

 

 

---- 男性の職人カメラマンの場合は、特に機材から入る人が多いかもしれないですね。

 

  

岡本 機材とかほんとに何も知らなくて。でも今お話を伺っていて、大丈夫だなって思えました。

 

 

奥野 それも「現象」になりそうに感じたんです。間違えたこととか、「できないこと」の現象って絶対何かあると思うんですよ。普段は、「できること」の現象を見る方が多いとじゃないですか、私たち。うまくいってることしか触れてなくて偏っているような。そうじゃないものが観られそうで。それは今回のコンセプトとも重なるところだし。出会えてラッキーって感じでしたね。

 

 

岡本 自分の前作も、ストーリーを初めから考えて撮った映画じゃなくて、自然に導かれるようにラストの形になったという、そういう感じだったんですよ。運命じゃないけど、抗わないでやってきて、自分の人生も、作品も。あらかじめ隅々まで緻密に計画的に計算されて作られた作品というよりは、それこそ受け身というか、流れるように作品になったというか。だけど不思議なのが、初めに音楽からインスピレーションを得ていて、その音楽に合うラストにしたい!という意気込みはあって。ドキュメンタリーなのに、そうできそうな気はしていたんです。で、結果的にそうなった。私の中では、そういうのが多いかな。今回も、そういう意味でも合っていると思います。

 

 

---- これからどう関わっていこうかということも、今日初めてお話されたわけですよね。

 

 

岡本 いまここで初めてお会いして(笑)。ここにいることがちょっと不思議というか、面白いですよね。

 

 

---- 奥野さん、どうしても自分がよく知ってる人のほうがやりやすいというか、安心というか面もあると思いますが……

 

 

奥野 正直、今回のようなスタイルでやるのは初めてです。これまでできなかったし、もともとそういう人間というわけでもないんです。でも「たまたま」もコンセプトで、受け入れていくっていう。そこを打破していかないと。私から出てきたコンセプト、自分は何がいいたいんだということに耳を傾けていくことが重要。そこはどんなときもできるだけ大事にしてますね。作品が教えてくれるんですよ、こっちだよ、って。きっかけとして自分から何かが出てきただけで、あとはただ耳を傾けていく。

 

 

---- 作品そのものに耳を傾ける。

 

 

岡本 あと、いまのお話を伺っていて、自分の中で思ったのが、そこに愛があるのかっていう。モノにしても何にしても。愛が自分のテーマというか。

 

 

---- 今撮っている作品も?

 

 

岡本 そうなんですよ。結局愛というものに触れるたび、心が動かされる。それをつきつめてクリスチャンになったのかという気もするんですけど、対物や対人に感情を入れたくないというのも、逆説的に愛情を感じるというか、たとえば受け身でいるということも、自分が抗うことをしないで受け入れる、許すという、それも愛なのかなっていう気もしてて。勝手にですけど、私の中での……

 

 

奥野 愛は人間だけのものじゃないなって、今聞いてて思いました。モノと人間に差異がないのであれば、モノにだって愛はあるし。たとえば岩が流れてきて、ドロドロドロって溶けて、風化してきたものを受け入れていくるからこうして地盤があって、東京があるっていう、そんなふうに起こってきたものをどんどん受け入れて世界が成立してる。ほんとに差はないなと思うんですよね、人間関係だってそう。

 

 

 

岡本 私はけっこう創造論的に見ちゃうんですよ、世界や人のことを。たとえばつむじの形と、竜巻の眼と、ひまわりの花って、(螺旋の)黄金比が全部一緒らしいんです。数値化すると共通点がたくさんあって、それは偶然とはいえないようで。全ての生きるものに必然的に凝ったデザインがされていて。DNAとかも。だから全部創造主の作品なのかぁて。もちろん進化論的な見方じゃないので一般論ではないですけど。でもそういう意味で同じ、人類皆平等っていう気持ちはありますよね。全部に数字が入ってるし。

 

 

 

 

映画「ディスタンス」より
映画「ディスタンス」より

奥野 フラクタルとかの話も

 

 

岡本 そうなんですよ。あれってすごいですよね。

 

 

奥野 感じますよね。大きなものの一部なんだなっていう。

 

 

岡本 だから作品も一部、私たちも一部で、全部が作品と思ってるので、偶然とは思わないんですけど。

 

 

 

---- お二人の「愛」の捉え方がものすごく広いと感じます。

 

奥野 でも、そういうことかもしれない。客観視してる。でもそこにミクロとマクロの幅があって、ズームイン、ズームアウトの幅ができると面白いですよね。

 

 

---- 現代人はもっとすごく狭い範囲で愛を捉えていますよね。

 

 

奥野 どうしてもね。みんなそうだと思う、自分も含めて。その視野は持っていたいと思うけど。

 

 

---- 地球的な視野で愛を捉えるっていう視点がすごく新鮮。そんな捉え方をこれまでしたことはなかった。

 

 

奥野 大事なのはスペックや技術じゃないと思ってて。申し訳ないけど私は知識はそんなにないんですよ。すごく本を読むとかそういうわけじゃないけど、根本的なことが創作の軸になっちゃうんですよね。なんで生まれて来たのか?とかそういうことに行き着いちゃうのは、性格だと思います。

 

 

 

---- 根源的なことに遡ってしまうと。

 

 

奥野 それがすごく気になる。

 

 

岡本 わかります。だからこそなにか作らないと気がすまないんでしょうね。

 

 

奥野 それが共通点だな、と思いました。女性的、ということでもあるかもしれない。

 

 

---- そうですね。何か皆さん全員に女性的な視線を感じます。

 

 

 

岡本 それこそ、受け身な、キリストを感じました(全員笑)。でも結局そこからくるものとか、根源的な部分からくるものの両方を表現したいのかなっていう気もするので。

 

 

______talk Ⅲに続く

 

 

 

 

聞き手|安藤誠 

 

フリーランサーとして広告・イベントの企画・制作を手掛けるほか、音楽、映画などの分野で執筆。街をツアーしながらダンサーと音楽家の即興セッションを楽しむイベント『LAND FES』(https://landfes.com)ディレクター。